「それなら自分でやった方が早い」
管理職になり、仕事に慣れてくるほど、この言葉が口から出そうになる場面があります。部下に説明して、手順を見せて、できあがったものを確認する。その時間があれば、自分で終わらせた方が速くて正確だと感じるのは自然なことです。
特に、仕事のできる人ほどそうなりやすいと思います。自分で早く終えられるのは、これまで経験を積み、失敗し、工夫してきた結果だからです。
ただし、その言葉を繰り返していると、少しずつ困ることが起きます。部下に経験がたまらない。自分に仕事が集まり続ける。業務の標準化やDXが進まない。そして、忙しいのに「自分しかできない仕事」が減らなくなります。
この記事では、「自分でやった方が早い」と感じる管理職の気持ちに寄り添いながら、部下を育て、チームで仕事を前に進めるために、何を手放していけばよいかを考えます。
「自分でやった方が早い」は、目の前だけ見れば正しい
まず大前提として、この感覚は間違いではありません。
慣れた人が19分で終えられる仕事を、初めて担当する人に任せるとします。背景を説明し、手順を伝え、途中で質問に答え、最後に確認する。最初は60分以上かかるかもしれません。
目の前の締切だけを考えれば、自分で処理する方が早いでしょう。急ぎの案件や、失敗が許されない場面で自分が対応することも、もちろん必要です。
問題になるのは、本当は任せられる定型業務まで、ずっと自分で抱え続けてしまうことです。「今回だけ」と思って引き取った仕事が、いつの間にか自分だけの担当になっていませんか。
習熟曲線が、仕事のできる人を手放しにくくする
同じ作業を繰り返すほど、作業時間が短くなり、ミスが減り、品質が安定していくことを「習熟曲線」または「ラーニングカーブ」といいます。
たとえば学習率80%のモデルでは、累積の実施回数が倍になるごとに、その時点までの平均作業時間が80%になるイメージです。
| 累積の実施回数 | 平均作業時間のイメージ |
|---|---|
| 1回 | 60分 |
| 2回 | 48分 |
| 4回 | 38.4分 |
| 8回 | 約30.7分 |
| 16回 | 約24.5分 |
| 32回 | 約19.6分 |
これはあくまで定型的な業務を想定したモデルで、すべての仕事が同じ割合で短縮するわけではありません。判断が多い仕事や例外の多い仕事では、ゆるやかになります。
それでも、経験を積んだ人が早くできるようになる過程を説明するには役立つ考え方です。習熟曲線は、反復によって時間とミスが減り、品質が安定する現象として整理されています。習熟曲線の解説はこちら
だからこそ、19分で終えられる人にとっては、誰かに任せて最初の60分に戻ることが苦痛に感じられます。でも、その一時的な遠回りを避け続けると、チームには誰の経験も積み上がりません。
一人の習熟が、チームのボトルネックになるとき
自分が早くできる仕事を抱え続けると、短期的には助かります。しかし長い目で見ると、次のような状態になりやすくなります。
- その人が休むと、仕事が止まる
- 部下は「確認待ち」ばかりになり、判断力が育たない
- 管理職が細かい作業に追われ、チーム全体を見る時間がなくなる
- 手順が人の頭の中にあり、改善やDXの対象にしにくい
- 忙しいのに、同じ仕事をいつまでも繰り返す
ここで大切なのは、「自分でやる人が悪い」と考えないことです。むしろ、責任感があり、現場を止めたくない人ほど抱え込みやすいのです。
ただ、管理職の役割は、自分が一番速く終わらせることだけではありません。チーム全体が、少しずつ速く・正確に終えられる状態をつくることも大切な仕事です。
DXは「最初だけ遅くなる時間」を引き受けること
DXというと、大きなシステム導入やAI活用を思い浮かべるかもしれません。でも現場で最初に必要なのは、今まで自分の頭の中だけにあった仕事を、誰でも再現できる形にしていくことです。
手順を箇条書きにする。チェックリストにする。画面操作を短く録画する。メールの下書きや報告文のたたき台をAIに任せてみる。こうした小さな整備も、立派なDXの一歩です。
最初は、説明する時間も確認する時間もかかります。けれど、そこに投資しない限り、仕事はずっと「自分しかできないまま」です。
AIを使う場合も同じです。AIに最終判断まで任せるのではなく、要約・分類・下書き・抜け漏れチェックなどから任せる。人は、優先順位や相手への配慮、最終確認に集中する。この役割分担については、AIで効率化できる仕事・人が判断すべき仕事でも詳しく紹介しています。
「自分でやった方が早い」から抜け出す5つのステップ
1.まずは「毎週くり返す仕事」を一つ選ぶ
いきなり重要な案件を任せる必要はありません。毎週・毎月のように発生し、手順がある程度決まっている仕事を一つ選びます。
たとえば、定例会の資料を集める、進捗を一覧にする、メールの一次返信案をつくる、データを転記する、といった仕事です。自分が早くできるほど、手放す候補になります。
2.頭の中の手順を「3行」だけ書き出す
完璧なマニュアルをつくろうとすると、そこで止まります。最初は「何のためにするか」「最初に何を見るか」「終わった状態は何か」の3行で十分です。
説明が伝わりにくいと感じる場合は、部下への指示が伝わらない40代管理職へ|伝え方を変える5つのコツも参考にしてください。任せるときは、期限だけでなく、完成イメージと相談してよいタイミングを共有することが大切です。
3.最初は「一部分」だけ任せる
丸ごと任せるのが不安なら、工程を分けましょう。資料づくりなら、情報収集だけ。報告書なら、下書きだけ。会議準備なら、前回の決定事項を整理するところだけ。
部分的に任せれば、部下も挑戦しやすく、管理職側も確認するポイントを絞れます。任せることは、いきなり手を離すことではありません。
4.最初の数回は「遅くて当然」と決める
任せ始めた直後に、「やっぱり自分でやった方が早い」と感じるのは当然です。そこで引き取ってしまうと、次回も同じ場所に戻ります。
最初の3回は教育期間と考え、時間がかかることを前提にしましょう。できなかったところを責めるのではなく、「次回はどこを変えたら少し楽になるか」を一緒に確認します。
5.自分に戻ってきた仕事は、理由を記録する
任せた仕事が戻ってくるときは、部下の能力だけが原因とは限りません。目的が曖昧だった、判断基準が共有されていなかった、確認の場がなかった、例外対応が多かったなど、仕組み側に改善点があることも多いです。
戻ってきた理由を一言メモしておくと、次に任せるときの説明が少しずつ良くなります。この積み重ねが、個人の習熟をチームの仕組みに変えていきます。
まとめ|自分の速さを、チームの力に変えていこう
「自分でやった方が早い」と思うのは、仕事ができる証拠でもあります。経験があり、品質の基準を知っているからこそ、任せることに不安を感じるのです。
でも、その速さを自分だけのものにしておくと、管理職自身がずっと忙しいままになり、部下も育ちにくくなります。
最初は少し遅くても、仕事を見える形にして、一部分から任せる。AIには下準備を任せ、人は判断と関係づくりに集中する。そうやって小さな成功を重ねることが、部下育成にもDXにもつながります。
今日、あなたが19分で終えている仕事の中から、一つだけ選んでみてください。それをチームでできるようにすることが、これからの自分の時間と、チームの未来を少し楽にしてくれるはずです。

