死に際を考えると今が大切になった

最近、親戚で子なしの老夫婦がなくなったんですよ。母方のおばあちゃんの兄弟です。年齢も90半ば、親戚兄弟は皆亡くなっていて身寄りはいなくて、生きているうちは私たちと両親とでお世話をしていたんです。基本的には自分たちでやりたい人たちだったので、老夫婦ですが自立した生活をしていました、私たちは週末などの遠方の買い物や大物の買い物に付き合っていく感じでしたね。

それで、葬儀を行い送り出した後、残されたのは住んでいた家とたくさんの洋服や家財道具達。

私は冷たいですが、全て業者で処分で良いんじゃね?
と思っていたのですが、両親達はやはり叔父・叔母なのでちゃんと自分たちの目で見て確認してから処理したいとのこと。そりゃそうだよね。

困った・・・・

全く掃除が進まない・・・・

と言うことで。両親の想いもあるので無理に業者を入れるわけにもいかず。
現在進行形で絶賛清掃中なのです。

そこで思ったのは、自分がいなくなった時の準備はしておくべきだなぁと。

コロナで突然死ぬかも・・・とか
死んでからPC見られたくない・・・・とか

そう言うんじゃなくて、なんて言うんですかね。
普段から誰に見られても恥ずかしくないように整理しておくことと、物の処理とかも含めて、伝えておくことはその人が近くにいる時に伝えておかないとダメだなと改めて思いました。

とは言いつつ、毎日平々凡々に生活しているわけです。

考えてみると、自分はいつかいなくなる事が確実で、”死”に向かって毎日進んでいるんですよね。

あれ?

ってことは平凡な毎日って実は平凡ではなく・・・

実は自分が日々生きていることは奇跡なんじゃね?

という事に気が付きました。

なるほど。

ということは奥さんや子供達に伝えること伝えないとだめですね。

恥ずかしくって言ってないけど、”愛している”こともちゃんと伝えなきゃいけないですね。

伝えなきゃ分からないですし、明日生きてるか分からないですし。

 

よし、今日ちゃんと伝えよう!

気持ち悪がられるだろうけど。

 

きっとこれが大叔父・大叔母のメッセージなのでしょう!

結論がおかしいですが、毎日大切に全力で生きましょう(笑)

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